はじめに
今年の夏は猛暑が続いています。仕事に追われる日々の中でも、いつも頭の片隅にあるのは『Not-God』スタディ・ミーティングのことです。
最近の学びで気づいたのは、正しい知識を語ることよりも、自分の経験した霊的なことを分かち合うことが大切だということです。私は宗教的な知識に長けているわけではありません。しかし、それでも回復を経験し、その原理を伝えることはできると感じています。
今回は、定例ミーティングで取り上げたステップ11「祈りと黙想」の続きを振り返ります。
朝の祈りと黙想
朝、自分の考えに導きを与えてくださいと神に求めるだけで、私たちの心は一日を通して、神の導きに満たされるだろう。私たちの考えが悪い動機から自由であり続けるよう神に求めるならば、よりよい生活を過ごせるようになり、日々、自分の内的資源の力に触れることができる。1
前回は夜の祈り黙想について取り上げましたが、「貴重な提案」の二つ目は、朝の祈りと黙想です。これは「今日一日をどう生きるか」を意識し、神に導きを求める実践です。
私たちは朝、身支度には時間をかけますが、心の準備はどうでしょうか。多くの場合、身だしなみには気を配るのに自分の霊的側面には十分手をかけていないのです。
私自身、以前はギリギリまで寝て、慌ただしく仕事へ飛び出していました。頭は「今日やらなければならないこと」でいっぱいになり、すでに疲れ切っていたのです。その結果、人間関係でイライラし、予想外の出来事に振り回されることばかりでした。
ところが、朝の祈りと黙想を実践し始めてから少しずつ変化がありました。朝5分だけ静かに「今日も導いてください」と祈る。これだけで一日の土台が整います。仕事でトラブルが起きても、「これは神が何かを教えてくれているのかもしれない」と受け止められるようになりました。
つまり朝の黙想は、単なる習慣ではなく、一日を霊的に生きるための心の準備です。
決められないとき
大切なのは、答えが出せない自分に気づくことである。それができれば、あとは自分には答えが出せませんと認めて、神にゆだねるだけである。2
「貴重な提案」の三つ目は、決められないときにどうするかです。私たちは生活の中で、どうしても答えが出せない場面に出会います。そこで、すべてを自分で何とかしようとすれば、かえって混乱やストレスに陥ります。
私も「絶対に間違えられない」と思い込み、判断を誤って事態を悪化させたことがありました。頭の中がぐるぐるして、ストレスからギャンブルの夢の世界に逃げていました。
しかし、「決められないときは神にゆだねる」という提案を受け入れてから、考え方が変わりました。難題に直面しても「今の自分には答えが出せません。神にゆだねます」と祈って一歩引くと、不思議と緊張が解けます。すると後日、直感や他人の言葉を通じて答えが与えられることがあるのです。
ここで気づいたのは、神はさまざまな人を通じて語りかけるということです。以前は「知識のある人の話しか聞きたくない」と思っていましたが、今は誰の中にも神の声があるかもしれないと思えるようになりました。
ビッグブックは、プログラムを実践し続ければ「直感」が強まり、人生を導く確かな力になると述べています。3私は直感を軽んじていましたが、今では大切にするようになりました。
結局、人間は一人の力で満たされるようには創られていないのだと思います。神を頼みとし、他の人と助け合う存在だからこそ、「決められないときにゆだねる」ことが必要なのです。
おわりに
今回のミーティングでは、「祈りと黙想を続けられない」という悩みも分かち合われました。メンバーから共通して出たのは、仲間と一緒に取り組むことで習慣化できるという意見でした。
今では地方に住んでいても、オンラインで毎日ミーティングに参加できます。はじめはスポンサーと一緒に祈り黙想に取り組むのも助けになります。
やがて誰もが、自分ひとりで続けていくことになります。そのとき、祈りと黙想が身だしなみと同じように「しないと落ち着かないもの」になっていくと思います。
次回、10月8日(水)のミーティングでは「祈り」を取り上げます。
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