ステップ6・7 心構え

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はじめに

すっかり寒くなり、まちの木々も色づいてきました。個人的な話になりますが、10月の中旬から1か月以上、体調を崩してしまいました。感染症の抗原検査からはじまってレントゲン、血液検査をしましたが異常がなく、最後に行ったCT検査で肺炎だったことがわかりました。原因はわからないままですが、処方された抗生剤が効いたのか、ここ一週間ほどは小康状態が続いています。

また、詳しくは避けますが、突然の人間関係の終わりなどもあって身体的にも精神的にもとても苦しい日々が続きました。こんなときこそ、自分の信仰が試されます。自暴自棄になるのではなく、神との関係の中で、自分の置かれている状況を謙虚に受け止めることが大切です。と、振り返るのは簡単ですが、実際はもがき苦しみながら、なんとか乗りこられたというのが正直な感覚です。

さて、11月のミーティングでは、ステップ6とステップ7を取り扱いました。以下では、ミーティングで議論された内容をまとめていきます。

ステップ6とステップ7の重要性

突然ですが、上記の表に記載の数字はいったい何だと思いますか。この数字は、それぞれステップごとに、『ビッグブック』と『回復の「ステップ」』で何ページ割かれているかをまとめたものです。『ビッグブック』の場合は、どこからどこまでが、どのステップなのか明確ではない部分もありますが、注目すべきは『ビッグブック』はステップ1とステップ2だけで93ページもあり、残りのステップのページ数の半分以上も割かれているという点です。これは、ビッグブックの著者(ビル・W)がステップ1とステップ2が重要だと考えていたということを裏付けるものとなるでしょう。

また、もう一つ目をひくのは、『ビッグブック』はステップ6とステップ7で、1ページ(にも満たない)しか割かれていないということです。実際に『ビッグブック』を読んでみると、ステップ6では、欠点を神に取り除いてもらう準備ができているかを問い、準備ができていなければその意欲がうまれることを神に祈ること、ステップ7では、欠点を取り除いてくださいと神に祈ることについてシンプルに書かれているだけです。もちろん、ページ数だけで判断できるものではないですが、ステップ6とステップ7はそれほど重要なステップではないということなのでしょうか。

一方で、『回復の「ステップ」』では、ステップ6とステップ7に最も多くのページ数が割かれています。また、ジョー・マキューは、「このプログラムのいわば一つの頂点のようなもの」として、ステップ6とステップ7を重要だと考えているようです。 では、ビル・Wがステップ6とステップ7について『ビッグブック』で書かなったけれども、ジョー・マキューが『回復の「ステップ」』で伝えたかったことは何だったのでしょうか。それを考えていくことで、この二つのステップの理解を深めていきたいと思います。

実は、ステップ6・7(正確にはステップ1・2・10も)は、ビル・Wが12のステップを書くときに参考にしたオックスフォード・グループの教義に対応するものが存在せず、あとから付け加えられたものです。そのため、ビル・Wは『ビッグブック』を書く際に、これらについての霊的な知識や情報がなかったため、「書かなかった」のではなく「書けなかった」のではないか、と推測することもできます。 なお、ステップ1はシルクワース医師に、ステップ2はカール・ユングとウィリアム・ジェームズに由来しています。

ステップ6とステップ7の課題

ステップ6の課題は、進んで手放す気持ちになることだ。私たちはさまざまな課題に長年にわたっており組んできたけれども、結局はいろんな問題を引き起こすことになってしまった。人生は、問題だらけだった。(中略)たとえ、そういう気持ちになっていなくても、ここでもステップが私たちを守ってくれる。なぜなら、進んで手放そうという気持ちになるまで、それを求めて祈ればいいのである。1

ふつうは、欠点がわかればそれを手放したいと望むものです。しかし、欠点は私たちの一部であり、意識はしていないかもしれませんが、責任転嫁、自己正当化、否認などによって、手放すことを望まないことがしばしばあります。そのために、自分の意志にもとづいて行動するという古い生き方を変えることができないままになってしまいます。

私たちは、自分の欠点をなんとかしたいと思っていて、自分の力で身の回りのトラブルを解決しようとしてきました。しかし、それは上手くいきませんでした。だから、まず私たちは、今までどおり自分の力で問題を解決しようとすることをやめなくてはなりません。

ここで大事なのは、ステップ6では、自分の力で欠点を取り除こうという意欲を持つことではなく、神に欠点を取り除いてもらおうという気持ちになるということです。もし、欠点を手放す気持ちになれないときは、手放す気持ちになれるように神に祈るという行動をすることです。

ステップ6とステップ7の実践

私たちが変わるためにこれからやる方法は、自分の性格をつくってきたのと同じやり方である。同じ方法で違うことをしようというのだから、違う内容を実践しなければならないのは当たり前のことだ。(中略)つまり、変わりたいと思ったら、これまでの欠点や非生産的な態度に代えて、それとは違うことを実践し始めるのだ。2

神は私たちのために、私たちにはできないことをやってくれます。私たちには自分の欠点を取り除く力はなく、神だけがその力をもっています。このことは、ここまでのステップで理解してきました。

では、私たちは、性格上の欠点を取り除いてもらう心の準備をした後は、祈っているだけでいいのでしょうか。ジョー・マキューは、ピアノやタイピングの例を出して、「練習すれば、だれでもかならず上手になる」と言っています。これと同じように、性格上の欠点についても、ピアノやタイピングと同じように、長年の生活をとおして身につけていったものなのだから、今までとは違う態度で生活をしていけば変えることができると言っています。

これは、理屈としては非常によくわかる説明です。私は、学生時代に野球や受験勉強に打ち込んだことがあります。特別の事情がない限り、スポーツや勉強などは、理論を学んで練習すれば、一定のレベルまでは誰でも上達します。(より高いレベルになるためには、才能や特別な環境などが必要です。)私は、その成功体験があったため、社会人になってからもあらゆる場面でこのやり方を信じて努力をしてきました。また、ギャンブルに対してさえ、このやり方が通用すると思い込んでいました。

しかし、ピアノやタイピングなどと同じように、自分の立てた目標を達成するために努力するというやり方は、自分の性格についても適用することができるのでしょうか。

ところが私たちは、人生を切り抜けるためにあれこれとひねり出した自分の考えで楽に目指せる程度の完全さに落ち着きたいと思っている。「子供と大人」の違いは、自分で決めた目的のために努力するか、神の与えた完全な目的のために努力するかの違いである。3

つまり、やはり努力はしていくのだけれども、その努力は自分の希望を叶えるためのものではないということです。そうではなく、神との関係の中でプログラムは進んでいくということでしょう。

この続き、ステップ6と7で私たちが取り組むこととその結果どうなるのかについては、次回のミーティングで考えていきたいと思います。

おわりに

今回も、ミーティングから二週間が経過して、ようやく記事を投稿することができました。仕事や子育てをしていると日々があっという間に過ぎていきます。でも、それを言い訳にせず、自分に与えられた役割を果たせるように取り組んでいこうと思います。

次回のミーティングは、12月11日(水)21:00~です。みなさんとお会いできることを楽しみにしています。


  1. ジョー・マキュー、依存症からの回復研究会訳『回復の「ステップ」-依存症から回復する12ステップ・ガイド』(一般社団法人セレニティ・プログラム、2008年)p.89 ↩︎
  2. ジョー前掲(注1)p.91 ↩︎
  3. Alcoholics Anonymous World Services、AA日本出版局訳『12のステップと12の伝統』(NPO法人AA日本ゼネラルサービス、1982年)p.90 ↩︎
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • りゅうさん、いつもありがとうございます。
    月刊コーナーストーン、読むのが楽しみです。
    月一回のミーティングも、楽しみにしています。
    これからも、どうぞよろしくお願いします。

    • あさりさん
      コメントありがとうございます。
      とても励みになります。
      ことらこそ、引き続きよろしくお願いします。

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