ステップ5 誤りをなくすことはできるか

目次

はじめに

重たかった腰を上げて、ホームページのリニューアルにあわせてブログをスタートします。

GAコーナーストーンは、居住地などの理由によって12ステップを学ぶ機会がないメンバーや、「言いっ放し聞きっ放し」のミーティングでギャンブルをやめることができなかったメンバーにプログラムの原理を伝えることを目的にオンラインでミーティングを開催しています。

しかしながら、月1回のミーティングでその目的を十分に達成することはできませんし、様々な事情でミーティングに参加できない人もいることでしょう。また、せっかく「言いっ放し聞きっ放し」ではないミーティングをしているにもかかわらず、何が伝えられようとし、議論されたのかが文章化され、公開されていないことはグループの課題でした。

この「月刊コーナーストーン」は、運営メンバーのひとりがミーティングで話した内容とディスカッションされた内容をまとめていくものです。コーナーストーンのもうひとりのメンバーのブログはこちらをご覧ください。

さて、10月のミーティングでは、『回復の「ステップ」』の第5章「見つけた真実を”より正確にする”(ステップ5)」を扱いました。コーナーストーンのミーティングがはじまったのは2023年5月ですので、ステップ5に入るまでに1年半もかかってしまいました。ステップの前半、特にステップ1~3あたりは論点が盛りだくさんなのでスローペースでしたが、ここからはもう少しペースが上がってくるのではないかと思っています。

誤りの本質

恨み、恐れ、他人を傷つける行為そのものが過ちの本質ではない。それらの感情や行為の背後にあり、その大本となったもの、すなわち「恐れ、身勝手、利己的、配慮の欠如、不正直」のいずれかが過ちの本質である。
これらをはっきりと把握することこそ私たちの目標である。1

ここまで、私たちには、精神の強迫観念や身体的のアレルギーという問題があるばかりでなく、霊的な部分でも問題があるということを学んできました。この霊的な病とは、神と自分との間に障害物があるために神との交流ができない状態のことをいいます。

ステップ4・5は、自分の過ちを知ることを目的に行われるものであり、自分と神とが切り離されている本当の原因は、恨みや恐れ、または他人を傷つける行為などではありません。こうした感情や行為は、あくまで自分の外側に現れた結果であって、内側まで掘り下げていくと、そこには問題の核心である自分の誤りが見えてきます。

棚卸しをとおして、これまでいかに私たちが自分の意志にもとづいて、自己中心的に振る舞ってきたかわかってきます。自分の意志にもとづいた生き方から、神とつながって、考え方や行動を導いてもらう生き方に変化していくことが12ステッププログラムの最終的な目標なのです。

誤りは完全になくせない

性格上の欠点は人間誰にでもあり、完全に取り去ることなどできない。2

ステップ4・5は、(それ以降のステップも同様ですが)棚卸しで見つかった自分の誤りを完全に取り除いて、清廉潔白な人間になるために行われるものではありません。頑張って取り除けるような誤りや欠点は、さほど重要なものではないことのほうが多いのではないかと思います。

もちろん、ステップ4~9では、棚卸しや埋め合わせをすることによって、自分自身の大掃除をしていくことになります。しかし、やってみればわかりますが、どこまでやってもゴミ一つ落ちていないきれいな状態になることはできないでしょう。

欠点を完全に取り除くような努力をするよりは、むしろ、自分自身には大小さまざまな誤りがあり、完璧でもなければ特別でもない人間だ、という現実に向き合うことのほうが重要ではないかと思います。

努力の方向性

自由であるためには努力が必要である。3

コーナーストーンでは、この「努力」という言葉について、しばしば議論になります。みんな、それだけ努力をしているということの裏返しでもあるのでしょう。

GAでは、努力の方向性として、「回復をするためには、自分のことを大切にしなければならない」、「12ステッププログラムをやると自分のことを愛することができる」という主張が展開されることがあります。私は、これらの考え方に対しては少なからぬ違和感があります。

なぜなら、私たちはステップ3で自分の意志と生き方について、神の導きにゆだねる決心をしました。しかし、自分のことを大切にすることや、愛したりすることが必ずしも神から与えられた導きと一致するとは限らないからです。ときには自分のことを犠牲にしてでも、やらなければならないこともあります。ですから、あえて「努力」という言葉を用いるのであれば、神に与えられた役割や課題に取り組んでいく方向性で努力をするのだ、という意味になるでしょう。

また、どうしても「努力」という言葉は、自分の力で道を切り拓いていくというような自己啓発のニュアンスが強くなってしまいます。もちろん、どのような神を信じるかはそれぞれの自由なのですが、神というものは努力した者だけを助けるような存在なのでしょうか。

私たちの側ができること、たとえばプログラムの実践などはしていくべきでしょう。しかし、私たち強迫的ギャンブラーはプログラムを使って変えられないものまで変えてしまおうとする特性があります。それでは、これまでの生き方のままです。とても難しいことですが、自分を大切にすること以上に、自分を棄てて、神の意志にもとづいた生き方ができるように行動していきましょう。

おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございました。この記事を公開するまでに何度も推敲を重ねましたが、自分の拙い文章やステップの解釈が一足飛びにレベルアップするはずもなく、自分の現在地でベストを尽くすしかないといことを思い知らされました。
そういう意味でも、書くという行為は役に立つものですので、月刊で記事を公開することを目標に、ぼちぼち続けていきたいと思います。

次回のミーティングは、11月13日(水)21:00~です。みなさんとお会いできることを楽しみにしています。


  1. ジョー・マキュー、依存症からの回復研究会訳『回復の「ステップ」-依存症から回復する12ステップ・ガイド』(一般社団法人セレニティ・プログラム、2008年)p.80 ↩︎
  2. ジョー前掲(注1)p.81 ↩︎
  3. ジョー前掲(注1)p.83 ↩︎
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