はじめに
今月のミーティングには、大阪で開催されたバック・トゥ・ベーシックスや常連の参加者の方から紹介されて参加してくださったメンバーが数名いらっしゃいました。いつも同じメンバーでわいわいとミーティングをするのもいいものですが、新しく参加してくれる方がいると運営している甲斐があります。また、某AAメンバーも参加してくださり、バラエティー豊かな顔ぶれでの開催となりました。
さて、ステップ6とステップ7もいよいよクライマックスに入りました。
本質があるところ
これは何かを獲得するプログラムではないのだ。これは手放すプログラ―自分を覆い隠していたものを取り除き、その下にある自分自身を見つけ出し、いらないものを捨てるプログラムである。
私は、すべての人の奥底に神の基本的な考えがあると信じている。私たちはそれを性格上の欠点などで覆い隠しているかもしれないが、それはなくなってはいない。1
繰り返しの復習ですが、私たちは、精神の強迫観念や身体的のアレルギーという問題があるばかりでなく、霊的な部分でも問題を抱えています。また、霊的な病とは、神と自分との間に障害物があるために、神との交流ができない状態のことであると定義をしました。これをグループメンバーのイサムさんが図にしてくれました。

この図は、自分という存在の奥底に、神の基本的な考えがある様子を表しています。私たちは、生きていく過程で、様々な考え方を身につけてきましたが、役に立たなくなったものが欠点や誤りというかたちで自分のなかにあるのです。これらの障害物があるため、神の考えにもとづいた生き方ができずに、自分の考えにもとづいた生き方になってしまっているというのがこれまでのジョー・マキューの説明です。
ここで、私たちにとって良いニュースは、私たちが自分の考えにもとづいた生き方をしているからといって、自分のなかにある神の性質は決してなくなってはいない、ということです。だから、自分のなかにある、いらないものを捨てるステップに取り組む必要があるのです。
引用の太字の部分「自分を覆い隠していたものを取り除き、その下にある自分自身を見つけ出し、いらないものを捨てるプログラムである。」の「自分自身」や「いらないもの」という単語は原文にはなく、日本語訳で付け足されたものだそうです。覆い隠されていたものの下に何があるのか、何を捨てなければいけないのかよく考えてみましょう。
完成ではなく成長を
ビッグブックには、ステップ6と7の原理を使っていくつかの性質を手放すことにより、私たちは100日で自分の性格を変えることができると書かれている。これができれば、その後の人生でこの過程をどんどん進めていくことができる。最初の早い時期の変化が私たちを進むべき軌道に乗せてくれ、目標の見えるところに置いてくれる。その目標とはスピリチュアルに成長することである。2
はじめてステップワークに取り組む人は、ステップワークを続けていけば、自分のなかにある欠点や誤りがきれいさっぱりなくなるような印象を受けるかもしれません。そして、私たちは得てしてそのような状態を目標にして努力をします。
しかし、注目すべきは、ジョー・マキューが目標を「スピリチュアルな完成」ではなく、「スピリチュアルな成長」と言ってる点です。これは、ビッグブックでも同じことが記載されています。3私たちギャンブラーは、オールオアナッシングの白黒思考をしがちで大変極端な人間です。右に進んでいたかと思うと急に左に進みだし、なかなか中道を行くことができません。
人間の知性や能力に対してリスペクトし、信頼をすべきですが、人間の持つ知性や能力にはやはり限界があります。私たちは、完璧を目指してどこまでも成長していくことができると思ってしまいがちですが、どこかで必ず、自分の限界を認めないといけないときがくるのです。
神のように完全な存在にはなれずいつまでも不完全な存在である、ということを受け入れたうえで謙虚にスピリチュアルな成長を目指すことが、私たちにとって中道を行くことになるのではないかと思います。
変化のタイミング
忍耐とは、人生の中で神のタイミングを受け入れることである。あらゆる物事にはタイミングというものがある。接着剤にタイミングがあるように、成長にもタイミングがある。4
ステップ6とステップ7でもう一つ伝えたかったことは、自分の努力によって欠点を取り除けないのと同様に、スピリチュアルな変化や成長のタイミングは自分の都合でコントロールすることはできない、ということです。
私たちがスピリチュアルに成長していく過程は、あくまで神の演出のもとにあります。私たちはあくまで、その出演者のひとりにすぎません。たしかに大切な役割である主役かもしれませんが、劇全体をコントロールすることはできないのです。
私たちの霊的な変化が起きるにふさわしいタイミングというものは、神が決めています。私たちにできることは、そのタイミングがくるようにプログラムに取り組み、そのタイミングを受け入れるということでしょう。
おわりに
ミーティング後の雑談でGAのプログラムやミーティングから霊的な側面がなくなってしまっているのではないかということが話題になりました。私やグループの理解では、その理由について明確に答えることができませんでしたが、先輩のGAメンバーや上記のAAメンバーの方の情報から、そのヒントとなる歴史を知ることができました。グループメンバーのイサムさんがブログでその内容を紹介をしてくれています。
コーナーストーンでは、毎月のミーティングのほかに、二つのプロジェクトが動き出しています。一つは、上記に関することで、書籍を翻訳するなどして、GAの歴史を紐解く作業です。
もう一つは、アーネスト・カーツの著書 『Not-God – A History of Alcoholics Anonymous』の日本語訳『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』のスタディ・ミーティングを開催し、プログラムの核となる思想をつかみとることです。こちらは、5月頃の開催を予定しており、準備が整ったら改めてお知らせします。
どちらも、GAという共同体の中で霊的な側面を伝えていくことを目的としています。私たちのできることには限りがありますが、与えられた仕事を地道に取り組んでいこうと思います。
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